1857年にブルガリの創始者である「ソティリオ・ブルガリ」が、ギリシャのエピルスという小さな村で生まれました。「ブルガリ家」はギリシャの銀細工師の家系で、ソティリオ・ブルガリは、幼い頃から秀でた才能を発揮していて、間もなく父の仕事を継承します。しかし、1876年にセルビアがトルコに宣戦布告「バルカン戦争」が勃発し、バルカン半島での戦火は激化すると、一家は紛争の絶えない街を出てイタリアへの移住を決心します。
ローマに移住した「ソティリオ・ブルガリ」は、1884年にシスティーナ通りに最初の店をオープンします。「ソティリオ・ブルガリ」のジュエリーは、ギリシャの古典的なデザインによる精微な造りが評価を受け、特に上流階級の人間に好まれました。
その後、息子の「ジョルジョ・ブルガリ」と「コンスタンティノ・ブルガリ」が事業に加わり、ジュエリーのバリエーションを増やし、さらに人気が高まりました。
そして、1905年にローマのコンドッテイ通りに現在の本店となる店舗を移転します。1932年には、創始者である「ソティリオ・ブルガリ」が他界しますが、その後二人の息子が、独特の感性で数々の新しいデザインに挑戦し始めます。
 「ジョルジョ・ブルガリ」は、フランスのデザインを切り離し、父親から学んだギリシャ様式にイタリアン・ルネッサンスと19世紀のローマ派のデザインを融合した斬新なデザインを発表します。この「ブルガリ・スタイル」と呼ばれたデザインは、イタリアを代表するジュエリーとなりました。中でも星座をモチーフにした作品が高い評価を受け、1940年代に入ってからは時計の制作を開始します。しかしジュエリーの中に時計を組み込んだ製品が多く、時計ブランドとしての評価は得られませんでした。
そこでブルガリの弱点を克服するため、スイスの時計メーカーである「ジラール・ベルコ」と提携して、同時に「ブルガリ・タイム」を設立し、1977年に「ブルガリ・ブルガリ」を発表したのでした。
当時の主流となりつつあった小さい、薄い、軽い、の流れに逆らうかのように円柱型の厚いケースを採用しました。時計業界では常識から外れた時計とされ、ブランドの宣伝用と評されましたが、逆にそのインパクトあるデザインが人気を呼び、永遠の名作となったのです。
ブルガリスタイルは、世代を超えて男女問わず、世界中の人々に愛され、21世紀に入った今もなお、トップブランドとして君臨し続けています。
日本では、ブルガリ(BVLGARI)のキーリングが大変な人気を博し、本来の使い方のみならず、リングをネックレス(チョーカー)として使用されています。




